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ここで、時代を少しさかのぼりましょう。9世紀ごろ、装飾ガラスの生産が現在のチェコ東部にあたるモラビア王国で始まっていました。しかし、マジャール人によってモラビア王国は滅びます。そのためモラビアのガラス職人たちは、ボヘミア地方へと避難します。9世紀末になると、プシェミスル家がボヘミア地方にボヘミア王国を創設。こうしてボヘミアン・グラスの歴史がはじまります。 |
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ボヘミア王国の北部は豊かな銀鉱山があり、13世紀には銀産出国として名を馳せるようになりました。豊かな銀資源を背景に王国は発展を遂げ、ボヘミア王オットカル2世はヴェネチアとの相互貿易に力を注ぎました。16世紀にはいるとボヘミア王国は神聖ローマ帝国に吸収されましたが、ボヘミア王国とヴェネチア共和国の銀やガラスをはじめとする交易は帝国内でますます活発になりました。16世紀後半に帝都をプラハに移したルドルフ2世は芸術をこよなく愛したコレクターとして有名で、彼の確かな審美眼の下、ボヘミア王国内で製作されるガラス工芸も大きな飛躍を迎えます。ボヘミアではエジプト産のガラスの原料をジェノバからチロル経由で輸入していましたが、チロル地方でもガラスが生産されていたため、大半がチロルで略奪されるようになってしまいます。そのため、王国内の森林資源を利用して原料を調達するようになりました。森林の薪からとれる良質の原料によって、ほとんど無色透明に近いクリスタル・グラスが誕生したのです。ヴェネチアン・グラスよりも純度と高度の高いボヘミアン・グラスはカッティングやエングレーヴィングに適しており、ルドルフ2世がミラノから呼び寄せた宮廷石工職人カスパー・レーマンによって彫刻技法が飛躍的に発展しました。ガラスに施された精細なレリーフ彫刻はハプスブルク家を中心とする帝国内の貴族たちの間で絶賛され、瞬く間に帝国中に広まりました。18世紀に入ると、ヨーロッパだけでなく、トルコ、エジプト、アメリカにもボヘミアン・グラスを販売する店が次々にオープンします。 |
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同じ頃、イギリスでもカッティング・グラスが生産されるようになり、ボヘミアン・グラスを脅かすまでに発展しました。この窮状をすくったのはひとりのエナメル絵付師でした。フリードリヒ・エガーマンは、マイセンで磁器の上絵付けの研究をかさねていましたが、磁器に絵付けする技術をボヘミアン・グラスに応用したところ、大成功を収めました。エガーマンは透明ガラスに乳白色のガラスを被せてカットするなど、数々の画期的な装飾技法を生み出し、ボヘミアン・グラスはその栄光の座を取り戻しました。 |
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1918年、第一次大戦が終結するとハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー二重帝国は崩壊、ボヘミア王国はチェコスロバキアとして独立します。1923年には、チェコスロバキアにガラス製造研究所が設立されました。1938年ヒトラー支配下のドイツによるミュンヘン協定によって、チェコスロバキア解体。第二次大戦終結後、再びチェコスロバキアは独立しますが、社会主義体制が敷かれました。 |
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1989年、無血革命により共産党の独裁政権が崩壊。4年後、チェコとスロバキアが誕生すると、社会主義時代には国営だったガラス工場も民営化されていきました。2004年5月には、チェコがEUに加盟。何世紀もの時代や体制を越えて、受け継がれ発展してきたボヘミアン・グラスは、確かな技術とさまざまなガラス芸術家の個性によってさらに飛躍しようとしています。 (終わり) |