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日常生活でなにげなく使っているガラス。その起源は古く、紀元前2000年後半には西アジアとエジプトでガラス製品が製作されていたようです。エジプトのファラオ、ツタンカーメンの黄金のマスクには本物の貴石だけでなくガラスの象嵌も多く施されていました。その後、ガラスは西アジアから戦国時代真っ只中の中国にも伝えられました。西アジア産の美しいトンボ玉はやがて中国でも独自の技術で生産されるようになりました。 |
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アラビア半島では7世紀はじめにイスラム教が創始されました。イスラム教国でつくられたガラスをイスラム・グラスと呼びます。このイスラム・グラスには様々な装飾技法が用いられ、ほとんどの技法が後のヨーロッパのガラス工芸でも使われています。(カット、グラヴィール、ダイヤモンド・ポイント彫り、エナメル絵付け、ラスター彩、鍍金、型吹き、ピンチングなど)イスラム・グラスは、十字軍の遠征の際ヨーロッパに持ち帰られ、東方貿易の活発化ともにヨーロッパへ大量に輸出されました。地中海周辺がイスラム・グラスの主な産地だったため、イスラム・グラスをヨーロッパに供給する役割を果たしていたのは、当時、地中海貿易をほとんど独占していたヴェネチアでした。 |
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紀元前27年に誕生したローマ帝国は、西暦395年に東西に分裂。476年には西ローマ帝国が滅亡します。ヴェネチアは584年に、東ローマ帝国から独立し、ヴェネチア共和国がうまれました。ヴェネチアは地中海貿易により優れたガラス製品をイスラム国から輸入すると同時に、その技術・技法も取り入れようとしました。ヴェネチアにはガラスの原料や燃料となるものがなかったため、それらすべてを国外からの輸入に頼らざるを得ませんでした。そのため、ヴェネチア提督とイスラム国との間でガラス技術移転の秘密協定が結ばれます。13世紀後半に、イスラム国のアイユーブ王朝、アッバース王朝が相次いで滅びると、ヴェネチアはイスラム・グラスの輸入先を失います。輸入先を失ったことは、しかし、ヴェネチアのガラス工芸を急速に発展させることになりました。 |
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ヴェネチアン・グラスに熱狂したヨーロッパはやがて、地中海から大西洋へとその交易範囲を拡大しスペイン・ポルトガルによる大航海時代をむかえます。16世紀後半に、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世が帝都をウィーンからボヘミア王国のプラハへ移しました。地中海貿易の衰退と皇帝ルドルフ2世のプラハ遷都と呼応するかのように、ヨーロッパのガラス工芸もヴェネチアン・グラスからボヘミアン・グラスへと移行して行きます。 |
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